道成寺
(どうじょうじ)

  能の『道成寺』を知らなくても、踊りの『娘道成寺』を耳にした事が無くても、安珍・清姫の伝説を全く知らない人というのは、あまりいないでしょう。
 それほど有名な伝説ですが、実際に話の内容を知る人は意外に少ないのも真実です。何を隠そうこの私も、ずいぶん長い間安珍・清姫の話の舞台は京都の清水寺だと思いこんでいました。
 これは、清姫→清水という名前の類似と日高川に飛び込む→清水の舞台という連想から一方的に信じこんでしまったのでしょうが…
 それはさておき、道成寺にまつわるこの伝説、実は二つあるのです。まず『道成寺縁起』に書かれる安珍・清姫伝説。

 延長6年秋(醍醐天皇)、奥州から熊野参詣に来た美男の山伏・安珍は、途中紀伊の国牟婁郡真砂の庄司・清次の家に宿を借ります。その家の娘・清姫は、「かの僧に志を尽し、あやしきまで覚え」て、厚くもてなし、遂に夜更けに安珍の部屋まで忍び込んでいってしまうのです。そして、「この家では昔から旅人を泊めてきたが、それもきっと前世からの定めだったのだ」と言ってせまるのですが、安珍は参詣の途中で身を慎んでいる時だからと、清姫の誘惑を退けます。
 しかし清姫はあきらめず、結局安珍は熊野参詣が済んだら戻ってくると約束を交わしました。

 けれど約束の日になっても、安珍は戻って来ません。不安に思った清姫が、街道まで出て行方を尋ねると、「その僧ならば、もう先へ行ってしまった」と教えられます。
 約束を違えられた事を知った清姫の狂騒は凄まじく、「
裏なしも失しよう方へ失せよ」、つまり「この邪魔な草履めっ」とばかり脱ぎ捨て、裸足になってを追跡します。
 そして上野の里
(道成寺から)で、先を行く安珍に追い着くのです。

 安珍は、あまりの恐ろしさに熊野権現に助けを祈ります。すると効果覿面、清姫は金縛りとなり、安珍はその隙にすたこらと逃げ続けます。しばらくして呪縛の解けた清姫は、今度は可愛さ余って憎さ百倍、許せんとばかりに追いかけることになるのですが…
 思うに清姫の怒りは、ここで形を変えたのではないでしょうか。約束を破られた時点では、清姫はまだ安珍のことを信じていたと思われます。

 「黙って行ってはしまったけれど、きっと何か理由がある。早く追いついて尋ねなければ…」

 そうした、切羽詰った思いを抱いてひた走っていたのでしょう。でも二度目に安珍が逃げた時、清姫は安珍に全く拒否されたことを思い知ります。そう、最初の晩の、あの恥ずかしさまでも…

 夜忍んで行った時、彼女は、本当は恥ずかしさに消え入りそうだったに違いありません。時は平安、男は通い婚を謳歌している時代、女は身分が高くても、名前すらハッキリと無かった頃なのです。
 けれども安珍は、優しく
(と、清姫には感じられたと確信します)約束を交わしてくれました。ところがそれは、たんなる時間稼ぎの方便でしかなかったのです。

 今、約束を違えられたのではない、ずっとだまされていたのだと思い知らされた清姫の怒りは、今度は形を変えて爆発します。
 なぜなら、それはプライドを踏みにじられたことへの怒りだからです。後世の私達は、ここに清姫の純情さを見出す事が出来ます。恋にすれた手合いでは、清姫ほど一途に追いかけることができたでしょうか。
 また裏切られたと知ってなお、追い続けるものでしょうか。

 安珍もまた、うぶな山伏でした。彼は清姫の処女故に一途な恐ろしさに震え上がり、どうにかして逃げる事しか頭に浮かばなかったのです。

 道成寺縁起の中で、清姫の姿が蛇体に変わるのはここからです。清姫はこの上野の里まで、既にもの路を走っています。きっと髪は乱れ、着物の前ははだけて帯を引きずり、そして疲れと焦燥に目を血走らせていたに違いありません。
 そんな清姫の姿が、道行く人には蛇に見えたのでしょう。道成寺縁起には、清姫がだんだんと蛇体に変身していくさまが描かれ、非常にリアリスティックに感じられます。

 その間、安珍は休まず逃げ続けて日高川を渡り、道成寺にたどり着き、ここに助けを求めるのです。清姫も川岸までやって来るものの、安珍に頼まれた船頭が川を渡すのを拒んだため、蛇体のまま川に飛び込みます。
 縁起では波立つ川面に、極彩色の蛇が火を吹きながら渡る様が描かれ、本来どろどろした執念を感じるはずのものが、とても美しく描かれているのです

 一方、寺に入った安珍ですが、彼もまた同情のみ受けて隠してもらったのではない事が良く分かります。
 昔から、「色男、金も力もなかりけり」とは良く言ったもので、美男の、それも娘に追いかけられて震え上がって寺に飛び込んで来るような、弱そうな山伏なんて、からかうには絶好の相手です。
 縁起の絵を見ると非常に分かり易いのですが、安珍を鐘に入れるよう指図しているのが、他よりは少し位の高そうな僧です。また、周りを取り巻いているのは、いかにも雑用をやらされていそうな小坊主達です。彼らの顔は、どう見ても面白がっているとしか思えません。

 隠れる場所にしても、いくら鐘楼の鐘が修理のために降ろされていたからと言って、地面に伏せられた鐘があったら、ここが怪しいと言わんばかりではないでしょうか。
 もし、本当に仏の力にすがって身を隠すなら、本堂の仏様の後ろか何かの方が、蛇体など入れそうもなく、おあつらえの場所ではないかと思うのですが。皆様はどう思われますか。

 ともあれ、安珍は鐘の中に隠れました。それが彼の最後となるとは知らずに…そこへ清姫がやって来ます。
 さっきまで面白半分に安珍に関わっていた僧たちも、蛇体となった女の恐ろしさには耐え切れず、さっさと逃げ出してしまいます。
 そしてクライマックスの鐘巻きの場面となるのです。


 
ちなみに紀州・道成寺の別名は「鐘巻さん」と言います。そして、能の『道成寺』の原形とも言うべき曲にも『鐘巻』と呼ばれるものがあるのです。山形に伝わる黒川能では、この『鐘巻』という曲が伝わっていて今でも演じられているそうです。

 これで話は最後かと思われますが、もともとこの道成寺縁起と言うのは、民衆に法華経の教えを分かり易く解くための物なのです。
 ですから仏教的な落ちが無くては完全ではありません。縁起には、この後道成寺の住持の元に、蛇道に転生した二人が現れて供養を頼みます。
 住持が法華経供養を営むと、晴れて成仏できた安珍・清姫が今度は天人の姿で住持の夢に現れて、実は熊野権現と観世音菩薩の化身であったことを明かしてめでたしめでたし。

 ここまでが最初の伝説ですが、肝心のお能のストーリーとは大分違うと思われませんか。

 それもそのはず、この話には後日談があるのです。この安珍・清姫伝説からさらに下った正平年、四百年ほど経ってから、鐘供養をし、鐘を再興すると一人の白拍子が現れて…という話なのですが、こちらが能の『道成寺』なのです。

 何故、能は曲のテーマとして後日談を採用したのでしょうか。それは、能の持つ特性と、能の求めるものに答えがあるようです。謡曲『道成寺』のテーマは女の嫉妬ですが、このテーマは何も『道成寺』の専売特許ではありません。
 女性の嫉妬を描いた代表的な謡曲を選ぶと、『鉄輪』・『葵上』の二つがまず挙げられます。しかし、同じ嫉妬を扱うものに、それぞれかける面が違うことを、皆様、ご存知でしたでしょうか。

 『八帖花伝書』に「『道成寺』本成の蛇面、『鉄輪』生成可然候。『葵上』は中成の蛇面尤に候

とあります。これは、それぞれの曲について、シテのかける面を指示しているものです。本成の蛇面は、般若を極端に動物化したものです。
 これは般若の面を使用する『葵上』や、般若よりもっと嫉妬の弱い生成を使用する『鉄輪』と較べて、『道成寺』で表される嫉妬・煩悩が、各段に強烈である故とされています。

 しかし、能の『道成寺』においてはその元となった人物、つまり安珍は影も形も見えません。ワキの昔語りの中でその存在が語られるだけです。
 若い女の元に走った夫そのものや、正妻葵上が小袖の形を借りて登場する二曲に比べて、あまりにもシンプルな『道成寺』の演出はかえって凄烈さを増して、観客の胸に響いてきます。
 伝説は、もともと、寡婦が若い男に性愛をせまる卑俗なはなしでありました。その、卑俗な部分はワキの語りにのみ集約、純化させ、女主人公を娘に代えて、後日談に重点を置いたのです。
 色欲・煩悩を決して生に表現せず、しかしシテには最も強い面をかけさせる、これこそが『道成寺』をして、能の集大成と表現される所以でしょうか。

 能の一番の特徴、そして魅力は、そのミニマリズムと、またそれゆえもたらされる無限の広がりにあるのではないかと私は思います。

 あらゆる余分なものを、可能な限り削ぎ落とし、全てが定められた制限のある空間と動きの中に、どれだけ可能性を秘める事が出来るか…

 そう考えると、能を通して世阿弥が語りたかったのは既成への挑戦ではないかと思えてくるのです。

 と、ここまで『道成寺』について書いて、つくづく女性は損だなぁと感じてしまいました。どうも昔から、恨んだり、嫉妬したりは女性の専売特許みたいに書かれる事が多いのですが、最近の事件などを見るに、男の嫉妬の方が根が深く、深刻なのではないでしょうか。
 清姫は、言って見れば現代のストーカーですが、事件になるのは男のストーカーの方が遥かに多いし、被害も大きいでしょう。

 やはり、昔は男尊女卑だったのか、とつい思いたくなるのですが、この説話が誰に向けて話されたものかを考えればそれも無理はないものです。縁起の中にも書かれていますが、道成寺のある紀州はまた熊野権現のお膝元でもあります。
 熊野といえば、仏法修行の本場、たくさんの修行僧が集まる所です。仏道に入った僧侶でも、最も迷いやすいのは女性でしょう。そこで、「女は怖いぞ、焼き殺されるぞ。」と若いお坊さん達に言い聞かせていたのでしょうか。
 女性にとっては迷惑千万な話ですが、そう考えると、この説話は妙な現実味があっておかしいのですが、現在、道成寺さんでも、その辺りは配慮しているようです。
 このお寺得意の絵解き説法でも、最後は「妻宝浄土」
(さいほうじょうど) と言って、奥さんを大事にすると、家の中が平和になっていつもにこやかに過ごせ、果ては極楽へ行けますよと、まとめていらっしゃいます。 
















 最後に余談となりますが、道成寺もまた、その寺に最も重要なファクターなくして存在しています。というのは、今もここには鐘がないのです。
 しかし、道成寺の鐘は無事ですのでご安心下さい。鐘は、京都の妙満寺というお寺に安置され、そこのご本尊の横に大事に奉られています。


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