賀 茂
(かも)
『賀茂』の舞台は、その名のとおり京都の上賀茂神社・下賀茂神社です。この二つの神社の由来は大変古く、山城国風土記や秦氏本系帳に見られます。能の『賀茂』は、この秦氏本系帳の説話から題材を採ったものです。 さてなぜこの二つの神社が、併せて一つのように考えられているのか、それはこの二つの社に祭られている神様達がおじいさん、お母さん、そして息子の関係にあるからなのです。 両神社の由緒略記によると、山城国風土記に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘である、玉依比売命(たまよりひめのみこと)が、毎日賀茂川に出て身滌(みそぎ)をしていると、あるとき丹塗り・白羽の矢が上流より流れてきました。これを拾い、床の間に飾り置くと美しい男神が現れ、二人の間に御子神が生まれました。 下鴨神社のほうはさらに古く、創祀の年代を特定することはできませんが、最初にその名が見えるのが『日本書紀』神武天皇二年(紀元前六五八)二月の条に「当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斉していた一系流『葛野主殿県主部』」と氏族の名がみえます。 さあ、難しい話はここまで。これから先は、能の『賀茂』のストーリーに合わせて、ゆっくり二つの神社の境内を散歩してみましょう。 まずは下鴨さんから。下鴨神社、正式には賀茂御祖神社は、比叡山から流れ出る高野川と、鞍馬の方から来る賀茂川が合わさり、鴨川と名前を変える地点に存在します。境内は大変広く、十二万平方メートルもの糺の森を有し、国宝の本殿二棟の他、五十三棟もの重要文化財の社殿が点在しています。まず入り口を入ると、右手が参道となって、まっすぐ二の鳥居に向い、瀬見の小川と呼ばれる小川で仕切られた左手は馬場となっています。
写真の橋を渡って左手には、式内社として、河合神社があります。 境内にはこの瀬見の小川の外にも、奈良の小川、泉川などの小川が流れ、糺の森とあいまってその林泉の美は、古くから物語や詩歌管弦に歌われてきました。
また、糺の語源も大変興味深く、まず神が顕れるところとしての「顕、たつ、ただす」、そして御祭神、賀茂建角身命が「正邪を糺された所」、また「蓼巣」、つまり蓼科の植物が群生する所、さらには高野川と賀茂川の合流する三角州を「只州」などの諸説が有ります。
さて、長い参道が終わりに近づくと、立派な二ノ鳥居が見えてきます。参道の終わりで小川にかかる橋を渡ると、そこで瀬見の小川は御手洗川と名前を変え、前方に朱塗りの楼門が参詣の人々を迎えます。この楼門をくぐる手前に、小さなお社があります。こちらは相生社といい、縁結びの神様です。
さて、朱塗りの楼門を一歩くぐると白州が広がり、正面に中門、その手前に舞殿、神服殿、橋殿、細殿、供御所、叉蔵、預屋、大炊殿等などを越える建物が点在しています。 この境内は特に見るべきものにあふれていて、何を紹介したら良いか迷うのですが、やはり光琳の梅と御手洗社でしょうか。境内右手に、橋殿と呼ばれる建物があり、その前を御手洗川が横切っています。 一番奥には、疫病・災厄除けの神様、瀬織津比売命(せおりつひめのみこと)をおまつりした御手洗社があります。御祭神・玉依比売命も禊をしていてご神体である矢を拾った、そのことからもわかるように両神社とも境内に小川が流れ、重要なファクターとなっています。御手洗の池では、葵祭の斎王代も身を清め、また土用の丑の日には、みたらし祭(足つけ神事)、立秋の前夜には夏越神事と様々な厄除けの神事に今も使われています。池の中心の井戸は普段水が出ないのに、土用の頃になるとこんこんと涌き出てくるため、これも京の七不思議の一つであるそうです。そして、その時の泡をかたどったものがみたらし団子。下鴨神社は、みたらし団子発祥の地でもあるのです。 ずいぶんのんびり下鴨神社を見て回りましたが、今度は上賀茂神社に参りましょう。上賀茂神社、賀茂別雷神社は、鴨川が二手に分かれた左手の賀茂川に沿って遡った所に有ります。こちらは下鴨と違ってとても開放的な、両側に芝生の広がる参道を歩いて、すぐに二ノ鳥居をくぐり境内に入る事ができます。 境内に入るとすぐ目を奪うのは、シンプルな建物の前に置かれた砂の山です。これは立砂と呼ばれるものです。立砂は、別雷神が御降臨した神山をかたちどったもので、一種の神籬(ひもろぎ)、つまり神が降りる憑代だそうです。また、鬼門などに砂をまいたり、清めの砂と言ったりするのはこれが始まりなのだそうです。 二ノ鳥居の内側は国宝の本殿の他、祝詞舎、透廊等の三十四棟の建物があり、上賀茂神社のこれらの建造物ももちろん重要文化財です。上賀茂と下鴨を比べて見ると、前者は葵祭の出発点であり、後者は終着点、そして色々と神様に向って報告をする所であるせいか、境内の建物が舞台的なものが多い印象を受けます。下鴨にも、例えば舞殿といった建物があるのですが、上賀茂はそれのみならず、他にも楽屋や、土屋などの壁の無い屋根と柱の建物が目に付きます。 こちらでは二度橋を渡らないと本殿に着く事が出来ませんが、勅使のための橋(玉橋 |