鐵 輪
(かなわ)

 『鐵輪』の女は、市井の者であったとされています。嫉妬によって鬼となる、同じ題材を使った『葵上』が、高貴な女人であった六条の御息所を主人公に取り上げているのとは大きく違います。
 二人の、嫉妬の表現の違いはこの身分の差から生じたのでしょうか。これはとても興味深い比較ですが、ひとまず、鐵輪の女が住んでいた場所へ参りましょう。





 鐵輪の女の旧跡は、現在の下京区堺町通り松原下るにあり-ます。この辺りは、旧名を鍛冶屋町といい、源氏物語の「夕顔」の住んでいた(夕顔町)の近所でもあります。
 京都は空襲を免れたとはいえ、古くは応仁の乱、そして幕末の戦災や度重なる大火によって、町並みに平安の頃の面影はほとんど残っていないと言います。現代の我々は、物語中に現された描写から、かすかにその風景の一編なりと感じる事しか出来ませんが、この辺りが日日の暮らしの匂う町であったことは、千年の時を超えても変わらないようです。
 ちなみに源氏物語では、この辺りを「むつかしげなる大路」と言い表し、夕顔の家は「門は蔀のようなるを、押し上げたる、見いれの、程なく、ものはかなきすまひ」と評しています。
 町並みもあまり立派ではなく、家は門の戸も蔀のようで、上げられている隙間から皆見通せてしまうほどの狭さ、そんな家々の立ち並ぶ界隈だったのです。

 この鐵輪の井は、縁切りに功ありと評判で、昔は遠く広島からも、ここの水を貰いに来る人があったそうです。いまから三百年程前の「出来斎京土産第一巻」という旅行記の中にも、鐵輪伝説と井戸のことが書かれていますから、ずいぶん古くから有名だったのですね。

 夏の日盛り、路地奥の井戸は、傍らにお稲荷さんを従え、ひっそりとありました。まるでそんな生々しい伝説は間違いだよと嘯くように…

 さて、次なる舞台は洛北・貴船神社です。この鍛冶屋町から貴船までは、ざっと16km。昔風に言うと四里でしょうか。
 道路の整備された現代と違い、平安期の四里は一体今の何キロに匹敵するのか、想像も出来ませんが、毎晩欠かさずにその道のりを丑の刻詣りに行くとは、大変な体力と気力の持ち主だったのでしょう。既に鬼になっていたとしか考えられませんね。

 現代人で、鬼でもない私は、叡山電鉄で貴船に行くことにしました。叡山電鉄は、出町柳から出る、最長でも二両編成のかわいらしい電車です。
 貴船ばかりではなく、鞍馬や比叡山、大原にもこれで行くことができます。鐵輪の女がたどった跡を追うには少々明る過ぎるような日本晴れのなか、いかにもハイキングといった出で立ちの乗客に混じって出発しました。出町柳駅から駅目が目的地・貴船口、およそ分の道のりです。

 途中修学院駅あたりで、だんだん郊外らしくなり、岩倉を過ぎると車窓の風景はすっかり田園になりました。
 町から、たったこれだけの距離で自然に出会えるのも、京都の持つもう一つの魅力なのでしょう。しかし叡電が良いのは自然ばかりでなく、その沿線には修学院離宮を始め、小野小町ゆかりの補陀洛寺など、訪れる場所にも事欠かないのです。
 のんびり走る叡山電車も、市原を過ぎると、いよいよ登りにさしかかります。車窓の風景がすっかり山あいになると、貴船口に到着しました。

 ここから貴船神社までオルゴールを鳴らしながら貴船川沿いを走るバスに乗り換えます。





 貴船神社本社前がバスの終点です。ここの祭神は、高 神(たかおかみのかみ)で、古来より水の神として崇敬され、心願成就信仰としての「丑の刻詣」で知られます。
 丑の刻詣りは祭神が国土豊潤のため丑年丑月丑日丑刻に降臨されたと言う古事によるもの。人々のあらゆる心願成就に霊験あらたかなことを示すもので、たんに呪いにのみ留めるべきではないと神社の由緒書きは語ります。
 創建の年代は明らかではありませんが、天武天皇の治世には既に社殿の造り替えのことが現れているので、それ以前だと考えられているそうです。

 貴船という名前は、古くは「気生嶺」「気生根」と書かれていたと言います。大地のエネルギー、気が生ずる山、「気」の生ずる根源と言う意味だそうで、神道では、体内の気が衰えることを「気枯れ-けがれ」といい、古来当社に参拝する者皆神気に触れ、気力の充実することから、運気発祥(開運)の信仰が篤いのだそう。
 境内には樹齢四百年、樹高三十メートルにもなる桂の木があり、「根元からいくつもの枝が天に向って伸び、上のほうで八方に広がる。これは御神気が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、当社の御神徳を象徴し、まさに御神木と仰がれる由縁である。」としてあがめられています。

 京都市内から大分登ってきたせいもあってか、真夏というのに涼しく、緑は豊かに、川のせせらぎも爽やかに、明るく生命力にあふれた地であるように感じられます。こんな美しい場所に、行き詰まった嫉妬の思いを抱いて、相手を呪い殺そうと毎夜通った女の姿は、明るい日差しの中で想像すると、恐ろしいとか哀れというよりも、何やら滑稽な茶番劇のように感じられました。

 またここは、雨乞いの社として名高く、その始まりは嵯峨天皇の御世にまでさかのぼります。続く霖雨に、天皇は貴船に勅使を遣わし、雨のやむことを祈願しました。以来、旱天には黒馬、霖雨には白馬又は赤馬を、その都度献げて祈願するようになったそうです。
 しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと、平安時代の文献である『類聚符宣抄』は伝えています。この「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と言われています。

 貴船では、和泉式部が復縁を、平定重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、そして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったそうです。そして、鐵輪の女もその恐ろしい願いを成就してくれるように祈ったのですね…

 ここ、貴船神社が一風変わっていたのは、おみくじでした。水に関係のある神社らしく、おみくじは水占となっていました。
 社務所で何も書かれていない紙を一枚選んで買い、本殿の脇の池に浮かべると、あら不思議、仕事や金運、恋愛運について文字が浮かび上がってくるのです。
 ちなみに私は大吉でした。皆様も貴船に行かれたら、ぜひ試してみて下さい。


 貴船神社の本殿は、もともと今の奥院であったそうですが、貴船川の氾濫で決壊したために、今の場所に移ったそうです。鐵輪の女が詣でたのも、その奥院です。
 さて磐長姫を祀った結社を経て、奥院に向いましょう。奥院に向う道は、今でこそ貴船川沿いに料理屋が建ち並び、貴船名物川床がびっしりと川にも並んでいますが、かの女が歩いた頃は、ひどい山道だったに違いありません。そこまで彼女を駆り立てたのは、一体なんだったのでしょうか。

 どこで聞いたのか、それとも読んだのか、忘れてしまいましたが、こんなことを思い出しました。

 「(女は)代では自分が死に、代では相手を殺して自分も死ぬ。代以降になると相手を殺して自分は生きる」
 鐵輪の女はまさにこの最後のパターンです。何故でしょう。思うに、それはプライドから来ているのではないでしょうか。

 徒に年取ったのではない人は、様々なものを重ねてきています。自分よりも劣る、と思われる相手に夫が心を移したら、容姿や性格だけでなく、今まで自分の生きてきた全てが、その相手より劣っていると烙印を押されるのと、同じことでしょう。
 プライドの高い、優秀な女のほうが、嫉妬も根深い、そう思えます。単に市井の女としか記述されていませんが、鐵輪の女もそのような女性だったのではないでしょうか。

 市中からこんな所まで、毎晩来ようという気力と体力、そしてその意思の固さ。御息所や和泉式部とも同じように…

 しかし、鐵輪の女には、先の二人にはない庶民ならではの強さと無鉄砲さもあります。彼女は自分の意思で鬼となり、最初の願いであった夫の死が叶えられないと、また来るわよと念を押して帰るのです。

時節をまつべしや まづこの度は帰るべし」と…

 このセリフに、ゾクッと寒気を覚えるのは、特に男性に多いのではないですか。

 そんな事をつらつら考えつつ、鐵輪の女をたどる旅、最終目的地へと向うため、道を引き返し始めましたが、ふと気づくと貴船川沿いの道には、いたる所に「和泉式部・恋の道」と標識があります。

ものおもへば 沢の蛍も我が身より、あくがれいづる 魂かとぞ見る

(=あれこれ思い悩んでここまで来ると、蛍が貴船川一面飛んでいる そのはかない光はまるで自分の魂が体から抜け出て飛んでいるよう)

 哀しい思いを歌った式部や、悪鬼となるほど思いつめた女が通った道に、何という名前をつけたものやら…「丑の刻詣りの道」とは付けられないでしょうが、商魂のなせるわざには鐵輪の女も脱帽ですね。

 さて女の旅は、堀川今出川の晴明神社で終わりとなります。ここは天文博士・阿倍晴明を祀る神社であり、その邸址と伝えられています。阿倍晴明は、一条天皇ら六朝に仕え、天文学に通じ、星をみて宮中の変革や遠国の吉凶を判断した陰陽師でした。
 彼は式神と呼ばれる鬼神を巧みに使い、邸では式神による不思議が、跡を絶ちませんでした。しかし妻が式神を嫌ったため、普段は近くの一条戻橋の下に封じ込めていたそう…

 

 戻橋には逸話が多く、嫁入りにはこの橋を渡らない習わしが残るとか。晴明の死によって、永久に出られなくなった式神が、まだ橋の下に住んでいるのかもしれませんね。陰陽道の別の神・泰山府君もまた、謡曲に取り上げられていますが、ご存知ですか?ちなみに観世流ではありません。

 晴明神社では、今でも色々な事を陰陽道に則って占ってくれるそうです。私が尋ねた時も、平日の昼間という時間にも関わらず、7人の方が順番を待っていました。
 時は移っても、変わらないのは人の心だと、最後まで実感した旅となりました。


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