邯 鄲
(かんたん)
司馬遼太郎だったと思いますが、「日本人にとって、古代(唐以前)中国は、ある種の郷愁を感じさせるのだ」という意味の文を書いておられるのを拝読したことがあります。 遣唐使廃止まで、そしてその後も折にふれ、日本はありとあらゆるものを中国から学んで来ました。長い年月が経つうちに、それらの文化-文学・哲学・生活様式・政治規範などは、日本文化に取り込まれ、我々の文化の血となり肉となって、幾世代を経た今では、ごく自然な共感を持って杜甫の詩を吟じたり、当たり前のように漢字で意思表現をするまでになりました。 能も現行曲の中、約一割以上のものが中国に題材を採っています。そしてその中に『邯鄲』のような名曲が存在し、それは紛れもなく日本の、能の粋を集めたものであると言うのも、また興味深いことです。 さて、日本で「邯鄲」と言えば、たいていの人が、「邯鄲の夢枕の邯鄲ね」と分かりますね。このように邯鄲の町を有名にしたのは、どうも能の功績のようです。 そんな邯鄲の町ですが、その起源は大変古く歴史上に姿を現すのは春秋末期にかけてのことです。この時代は諸侯の上にある周王室の力が弱くなり、血縁関係によって結ばれた、周王を頂点に抱く諸侯との緩やかな連合体、という古代統一中国の形が崩れ、長い戦乱期の丁度中間です。 さて、このように血縁によって結びついていた周王朝と諸侯の連合ですが、時が経つに連れてお互いの血縁が薄くなってきます。この時代の不文律「同じ姓の家と婚姻してはならない」が、益々この傾向に拍車をかけます。 春秋時代は東に移った周を頭に抱き、五国‐斉・晋・楚・呉・越が覇を競っています。時代が下るに連れて戦乱は激しく広がり、紀元前四七三年、まず呉が越に滅ぼされます。 さて紀元前四五三年、晋の国は六卿のうち、韓・魏・趙の三氏に国を分割されます。また降って四〇三年、今度はその三氏が諸侯として独立します。ここに春秋時代は終り、戦国時代が始まるのですが、三国のうちの一つ、趙が都に定めたのが邯鄲の邑でした。 実は去る六月末に、四日間の日程で中国に行って参りました。余談ですがこの旅行、貯めたは良いが期限が切れそうになった、日本エアシステムのマイレージを使ってのものでした。ろくに休みも取らず、せっせと日本中を仕事して回っている旦那様に感謝です。 さて、邯鄲に行きたいとは思ったものの、これはなかなか簡単なことではありませんでした。 中国を旅行したいと思ったら、まずは中国旅行社に問い合わせることです。ところがオフィスに行って、「邯鄲に行きたい」と言うと、中国人スタッフの方々は一様にぽかんとした表情を浮かべるのです。 「どうしてまたそんな(何にもない)所に?」こう思っているだろうことが、良く分かりました。 ともかく調べてもらった所、邯鄲の町の周辺には飛行場がないのです。従ってこの町に行くにはどこか飛行場のある大きな町から汽車に乗るしか手段がないように思われました。 中国国内を個人で自由に旅行するにはまだまだ不便なことが多いのですが、その中でも一番大きいのは、汽車の切符が取り難いということです。日本からの予約はもちろんできませんし、また三日前にならないと切符が買えないのです。 でもどうぞ御安心下さい。ちょっと大きなホテルなら必ず旅行部があり、ほんの数百円のコミッションで宿泊客の切符の予約や引取りの代行をしてくれるのです。そして大抵の場合、英語(或いは日本語)のできるスタッフが常駐しているので、やっとの思いで手に入れた切符の行き先が違うと言うこともありません。 かくいう私も、鄭州の紅珊瑚酒店にチェックインを済ませるやいなや旅行部に直行しました。ところが、以前上海や西安ではすんなりと買えた切符がなかなか手に入らないではありませんか。 せっかくここまで来たのに諦めるのか…とがっくりした私に、「バスはどうでしょう?」との提案。「何時間かかるんですか?」と聞くと、「No more than 3 hours」という答えが返って来ました。 翌朝は早起きをし、七時のバスで一路邯鄲へ。河南省・鄭州辺は黄河が肥沃な土を運び、中国でも最も早くから開けた地域です。鄭州を出るとすぐに黄河を渡るのですが、その川幅の広いことには本当に驚きました。 車窓からの景色も見飽きず、と言いたい所なのですが、「No more than 3 hours」だったはずのバスが邯鄲に着いたのは午後の一時でした…六時間、つまり倍かかった訳です。最終のバスは五時、つまり町にいられるのは四時間しかないわけで、駆け足の邯鄲見学になってしまいました。 しかし良くしたもので、邯鄲が、皆が揃って「どうしてそんな所へ?」と疑問に思ったほど見るべき所の少ない町だったのが幸いしました。中国語が分かるなり、事前に事情通の人の話を聞ければもう少し違ったかもしれないのですが… 町にただ一つの博物館は閉館。趙園という名の公園も、芝生は広くて気持ち良かったのですが、特に何があるわけでもありません。 こういう時は歩くに限ると、炎天下をものともせず歩いて見たのですが、どこを歩いても夏の昼下がりののどかな風景です。日本の田舎も画一化し、どこに行っても同じような地方都市の顔になっていると色々な人が嘆いていますが、中国でもことは同じようです。 |