野 守
(のもり)
大方の予想を裏切って、今月の「のうのう便り」は『野守』を取り上げます。その舞台となるのは、春日山の西麓一帯に広がる春日野。ここは、春日大社の一の鳥居を東に入った辺りの浅茅ガ原、その南の片岡の梅林、そして東に進んで春日大社の表参道の南側に広がる飛火野を総称して言う名でもあります。 今の日本人にとって、それも東京に住む者にとって最も馴染み薄い風景とは、遥か地平線まで広がる大平原、つまり野ではないでしょうか。 君がため 春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ これは、百人一首にある光孝天皇の歌ですが、その外にも万葉集に 明日よりは 若菜摘まんとしめし野に 昨日も今日も雪は降りつつ 等の若菜摘みの歌が良く見られます。 風の吹き渡る野には、開放感もあったでしょう。それは、普段なかなか外に出る機会のない、大宮人達にとって、尚更のものだったに相違ありません。 あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る むらさきの にほえる妹を憎くあらば 人妻ゆえに 我恋ひめやも 有名な額田王と天武天皇の歌です。この二首は春日野で作られた歌ではありませんが、ここにも野守が登場します。 箸鷹の 野守の鏡得てしがな 思い思わず 外ながら見ん だけでなく、他にもあるに違いないと思っていると、古今集に、一首見つかりました。 春日野の 飛火の野守出でて見よ 今いく日ありて 若菜摘みてむ 先ほどお話したように、モンゴルの大草原と違って、日本の野、特に春日野は、ただ茫々と広いだけでなく、緑濃い山に囲まれ、森に区切られています。 奈良の山々は標高は低くとも奥の深いところ、太古の昔、森は今よりもっと鬱蒼と茂り、神秘を漂わせていたことでしょう。そう想像すれば、謡曲『春日野』にある故事も頷けます。 その故事とは、雄略天皇が春日野で鷹狩の鷹を見失ってしまっていると、野守がどこからともなく現れて、池の水に映してその行方を教えてくれたというものです。 また、鏡というものはこれも神秘を感じさせるものです。ご存知のように古代において鏡は、大変な財宝でした。古墳から大量の鏡が出土することからもそれが良くわかります。しかしなぜ鏡が宝物かということに関して、決定的な決め手はまだないようです。 今までのことは全くの推測ですが、こうやって勝手に想像をめぐらすことも、また古代史を知る楽しみではないでしょうか? 現代都市として発展を続ける京都と違って、古都奈良は鄙びた面影を今でも町中に濃く残しています。 |