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我輩は猫である。名前は“福助”という。
うちの主人が、ホームページとやらを我輩に手伝ってくれというので、しょうがないから起きてきたニャ。人間は、猫の事をすぐ恩知らずとかいうが、それだけでないのも少しは分かってもらわなくては困る。我輩は礼儀をわきまえているので、まずは自己紹介をしよう。 |
| 我輩を摘み上げたのは、二人の人間の女だったと後でわかった。場所が、片方の住処のゴミ捨て場だと言う事も今は知っている。なぜなら、たまに拾われた家に遊びに連れて行かれると、「ホラ、またゴミに出されたいの。」等と言われるからである。 | |
| 最初の一月ほどは、この家と今住んでいる家を行ったり来たりしていたが、最初の家の旦那は猫の事が大嫌いな人だったので、この家に落ち着くことになった。今の主人は、最初我輩がいることを知らずに家に帰ってきて、大変びっくりしていた。 我輩はその時たいへん腹が空いていたので、ニャ−ニャ−鳴くと、たいそう手間取ったがミルクを作って飲ませてくれた。我輩はその頃、まだ皿から飲む事もできなかったのである。以来、この主人と一緒に住んでいる。 主人というが、彼は大変猫を甘やかしていると、ボスが言う。ボスは、主人の細君だが、この家の最高権力者なので、我輩としても一目置かざるを得ない。主人の我輩に対する態度は、俗に言う猫かわいがりである。 |
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我輩のページではないので、そろそろ本題に戻ろう。 主人は能楽師である。「ノウガクシィ〜、え〜それってなぁにぃ」という御仁も増えてきた昨今の事だ。ちょっと説明しよう。 一口に能楽師といっても色々である。舞と謡中心のシテ方、舞台でシテの相手を務める役専門のワキ方、笛・小鼓・大鼓・太鼓を演奏する囃方、そして最近は狂言師と呼ばれる事が専らになったが、狂言方、この四種類があるのだ。この4つの役には、各々流儀というものがある。 シテ方には、観世・宝生・金春・金剛・喜多の五つの流儀がある。しかし、我輩には何が違うのかはわからん。今度、首尾よく散歩に出られたら、お隣の黒先生に聞いておこう。 |
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黒先生は、哲学者めいた風貌の大変立派なからす猫で、その父親の伯父の曾祖父さんの連れ合いの曾祖父さんの叔母の曾祖父さんの…長くなるので省略するが、とにかく先祖の猫が、昔この○○町内に住んでいた、大槻十三先生という能楽師の台所によく世話になっていたのだそうだ。 どうも脱線しがちだが、続きを話そう。うちの主人は観世流シテ方の能楽師である。名を観世喜正という。観世流とついて観世という名前なので、たいそうな人かと思われる向きもあるが、たいしたことはない。電話しているところを聞いていても、あまり偉いとは思えないし、実際偉くはない。 |
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食事も済んだので、主人の履歴を話そう。だがその前にまずは毛づくろい、毛づくろい。
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一緒に写っているのは、主人のじい様、つまり先代・観世喜之である。主人は胡蝶という役を面をつけずにしたのだな。 |
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これは『安宅』の子方で、義経役である。このことも、ボスが聞いていたが何やらあやふやな答えばかり返ってきていた。 |
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最後にお目にかける写真は、昭和54年1月14日『翁』で、千歳を舞ったものである。主人は八歳。だが、この頃から背がどんどん伸びて、そろそろ子方ができなくなってきたのだそうだ。というのも、主人の父・観世喜之という人は、とても小柄で家中で一番小さい。 これに対して主人は現在178cmと、かなり大きいので既に中学生の時は、大人と子供が逆転していたように見えたらしい。そんな訳で彼の子方卒業は早かったそうである。 |
さて、我輩も今回は大いに頑張ったので、猫缶くらい奮発してもらえるだろう。それではまた次なる機会にお目にかかるニャ。 |
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| 観世喜正へのお便りお待ちいたしております。連絡先をお忘れずに! | |