おしらせ
このページにてわたくしのプロフィールを紹介していた愛猫『福助』が平成24年2月23日朝8時、自宅にて息を引き取りました。
妻がごみ捨て場で保護して以来、12年半ちかく、我が家の「福猫」として一緒に過ごしてまいりました。

昨年春ごろより体調を崩しがちになり、腎臓が悪いとの診断で通院入院を繰り返しながらも寝込むことなく元気で過ごしておりました。
亡くなる前日は地方稽古で留守にしておりましたが、妻からの知らせで急ぎ帰宅し、家族で見送ることができました。

飼い主にすら媚びず、いつも「我こそが主人なり」と言わんばかりに堂々と部屋の中を歩き回っており、かまおうとすれば威嚇されたり猫パンチをくらったりとなかなか威勢のよい家族でありました。
そんな福助も、一昨年、娘・和歌が生まれた後は辛抱強く子守にもつきあってくれ、毛を引っ張られてもじっと耐えて大人しくしてくれていました。(隙あらば逃げ出していましたが)

「かんぜこむ」に掲載したことで、能楽関係者やファンの方だけでなく、猫をお好きな方からもお便りなどお寄せいただき、また新聞・雑誌の取材を受け、たいそう人気ものとなりました。
長い間皆様に可愛がっていただきましたこと、心より御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。

平成24年2月24日 観世喜正

福助 思い出アルバム
保護されて半月くらい。産まれて1ヶ月くらいだったみたいで、両手の平に載るくらい小さくて可愛かった…
小さな洗面器にもすっぽりだったのに… 保護されて1ヵ月半。なんだか大きくなってきたぞ??
1歳くらい。すでに一人前の大きさに成長していた…
洋猫、おそらくロシアンブルーの血が混ざっているようで
骨は太いし、丸々と太りました。
雑誌「猫びより」2010年7月号掲載記事


2011年6月。
喜正先生の長女・和歌ちゃんの
一升餅祝いの日に。

「オイラが福を授けるニャ。」
「おそれいります。」

「猫びより」さんに掲載された
男前の写真を遺影にしました。
弔辞にかえて、福ちゃんへ

初めて福ちゃんに会ったとき、なんて凛々しくて素敵な猫なんだろう、と思いました。真っ白とブルーグレーの毛。目力の強い真ん丸の目。いつか猫と暮らしたいと思っていた私にとって、福ちゃんは憧れでもありました。

でも何度会ってもちっとも慣れた素振り一つ見せてくれなくて、お家や事務所で会うと「ここは僕の縄張りだニャ!」と言わんばかりに私の足にすり寄って匂い付けをし、こちらから近寄れば「しゃー!!」と威嚇し、ちょっと撫でてみようと手を出すと世界チャンプ並みのスピードで猫パンチを繰り出し、その度に「もっと大人しい猫を飼うことにしよう…」と私に思わせてくれました。

お家のお引越しの時、大先生のお宅で一人ぼっち、もとい一猫ぼっちでお留守番をさせられてさすがに寂しかったのか、それはそれは可愛らしい「にゃーーーーーん♪」という鳴き声で走り寄ってきて、私の膝の上に乗ってきてくれたときは本当に嬉しかったです。
ひとしきり私に撫でてもらって満足したのか、「もーいーよ。」といつもみたいにそっけなく立ち去っていく後ろ姿は、ちょっと照れくさげな気もしましたっけ。
あんな可愛い声を聞かせてくれて一杯触らせてくれたのはそれが最初で最後でしたけど。

八ヶ岳の山荘で蛇を生きたまま捕まえてきて喜正先生を飛び上がらせたり、まるで虎みたいな威嚇で私たちをビビらせたり、お風呂に入れられて奥様の腕を傷だらけにしたり、武勇伝もたくさん残りましたね。
一度だけまともにくらった猫パンチの張り手の肉球の感触、忘れません。思い出をありがとう。

平成24年2月24日 事務員 某


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